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夏目漱石ってどんな人物?人柄を表すエピソードを紹介!
夏目漱石といえば、なんでしょうか?「吾輩は猫である」と答える人も、「坊ちゃん」と答える人も、「千円札の人」と答える人もいるのではないでしょうか。夏目漱石がどのような人物だったのか、略歴をご紹介します。
もくじ
・過去の千円札の起用人物
・夏目漱石の人物像・偉業
・夏目漱石の逸話
・いつからいつまで起用されたのか
過去の千円札の起用人物
これまで千円札に描かれたことがある人物は次の5人です。
・1950年~1965年 聖徳太子
・1963年~1986年 伊藤博文
・1984年~2007年 夏目漱石
・2004年~現在 野口英世
・2024年~(予定) 北里柴三郎
聖徳太子は飛鳥時代の皇族で、政治家とも言えます。推古天皇を助けて法律や冠位の制定、国史の編纂などに携わった人物です。伊藤博文も政治家で、初代総理大臣として知られています。
一方、夏目漱石は政治家ではなく作家です。また、野口英世と北里柴三郎も政治家ではなく学者です。野口英世は医者、北里柴三郎は医学者や教育者としての顔も持っています。
夏目漱石の人物像・偉業
夏目漱石は、多くの人に知られている作家です。教科書などにも取り上げられていますから、これまで、一切夏目漱石の書いた文章を目にしたことがないという人は少ないかもしれません。
そんな夏目漱石ですが、一体いつごろ活躍した人物なのでしょうか?夏目漱石の人生について、簡単におさらいしてみましょう。
夏目漱石は1867年に生まれました。当時の名前は「金之助」で、父親が51歳、母親が42歳のときに生まれた8番目の子でした。生まれてすぐに里子に出されますが、じきに生家に戻され、また別の家へ里子に出されたものの、再び出戻るという経験をしています。実の両親を「祖父母」と教えられていた漱石は、不遇の幼少時代を過ごしたと言えるでしょう。
とはいえ、父親は学費を惜しむことはなかったため、漱石は東京大学予備門予科へと入学を果たします。その後、帝国大学英文科を首席で卒業した漱石は、英語教師として働き始めました。親友である正岡子規と同居をして俳句を楽しむなど、この時代は漱石にとってとても充実したものでした。
1900年、33歳のときに文部省の命令でロンドンへ留学することになります。ところが、国から支給される留学費用が足らず、漱石は金策に苦しむことになります。このロンドン留学中、漱石は神経症を患い「もっとも不愉快な2年間なり」と書き残すほど苦しい時間を過ごすことになりました。
帰国後は東京帝国大学英文科の講師として働き始めましたが、生徒からの人気は低く、神経症が再発してしまいます。そこで、正岡子規の弟子だった高浜虚子が漱石に小説を進め、有名な「吾輩は猫である」が発表されました。
その後も「倫敦塔」や「坊ちゃん」など、今も愛され続けている小説を書いた漱石は、40歳のときに講師をやめて新聞社に入社し、作家として生活していくことを決意します。新聞社に入社して最初に書かれたのは、「虞美人草(ぐびじんそう)」でした。これも今でも人気の高い、漱石の代表作のひとつです。
「坑夫」「夢十夜」「三四郎」「それから」と、精力的に執筆を続けながら、漱石は「木曜会」と呼ばれる木曜日の面会日を設け、数多くの後進を育て始めました。木曜会の参加者には、森鴎外、鈴木三重吉、久米正雄、芥川龍之介、内田百閒、菊池寛などがいます。
漱石の小説執筆は、神経症を始めとするさまざまな病との戦いでもありました。特に43歳のとき、「門」の執筆中に胃潰瘍で倒れた際は生死の境をさまようほどの病状になってしまいます。このときは一命をとりとめたものの、その後も胃潰瘍や神経衰弱、痔、糖尿病など数多くの病に悩まされ、49歳で胃潰瘍による内出血のため、惜しまれながらこの世を後にしました。
夏目漱石の逸話
夏目漱石の人柄を知ることのできる逸話に、「博士号辞退」があります。漱石が44歳のとき、文部省が送ってきた「文学博士」の学位記の証書を漱石は送り返し、辞退してしまったのです。このとき、漱石は胃腸病院に入院中でした。
この数日前、博士号を授与するとの通知を受けた漱石は、電話で辞退を申し入れていましたが、入れ違いで証書が届いてしまったのです。
漱石はロンドンに留学していた頃から、「博士になるつもりはない」という意思を示していました。その思いのまま、博士という肩書きをありがたがるのではなく、「ただの夏目なにがしで暮らしたい」(辞退のための手紙の一節)という希望を示したのです。
また、夏目漱石の有名なエピソードとして、「I love you」を「月が綺麗ですね」と訳した、というものがありますが、これは事実ではないと言われています。英文科の教師としても働いていた時期のある漱石ですが、講義内容は真面目でこのような茶目っ気のあるものではなかったと言われています。
いつからいつまで起用されたのか
夏目漱石が千円札の肖像として起用されていたのは、1984年から2007年までです。和暦で言うと、昭和59年から平成19年までとなります。
とはいえ、今でも夏目漱石の千円札はそれまでと同様にお店で使うことができます。もちろん、銀行などで預け入れることも可能です。ただし、自動販売機などでは利用できないこともあるので注意しましょう。
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