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福沢諭吉ってどんな人物?一万円札の肖像画となった理由は?
福沢諭吉の名前と顔がわからないという人は、日本にはあまりいないでしょう。これまで長い間一万円札の顔として採用されてきた福沢諭吉について、どのような功績を残した人物なのかをまとめました。
過去、一万円札になった人物
これまで一万円札に肖像画が採用された人物は、「福沢諭吉」と「聖徳太子」のふたりだけです。1958年(昭和33年)、初めて一万円札が発行されることになりました。このときに肖像画として採用されたのが聖徳太子です。聖徳太子はそれまでにも百円札、千円札、五千円札と、何度もお札になっています。
その後、1984年(昭和59年)に新しく一万円札の肖像画として福沢諭吉が選ばれました。このとき千円札には夏目漱石、五千円札には新渡戸稲造が新しく肖像画に採用されています。
紙幣のデザインは、2004年に再度変更になり、千円札が夏目漱石から野口英世へ、五千円札が新渡戸稲造から樋口一葉になりました。しかし一万円札については、福沢諭吉のままデザインのみが変更。このため一万円札になった人物は、聖徳太子と福沢諭吉のふたりだけなのです。
ただし2024年からは、新しく渋沢栄一が一万円札の顔として採用されることになっています。
福沢諭吉の人物像・偉業
福沢諭吉は1834年(天保5年)に生まれ、1901年66歳で生涯を閉じた日本の蘭学者、啓蒙思想家、教育者です。父親は大分県の中津藩士でしたが、諭吉が生まれた当時は大阪の蔵屋敷に勤めていました。ところが諭吉が1歳のときに父親は死亡。それに伴って、家族は中津に戻ることになりました。
19歳からは長崎や大阪で蘭学を学びますが、21歳のときに兄の死亡で再び中津に戻り、福沢家を継ぎます。しかし23歳で諭吉は江戸へ出て、蘭学塾を創立。これが現在の慶應義塾大学となります。
それから2年後、25歳のときに幕府に命じられてアメリカ視察を行ったのを皮切りに、27歳でヨーロッパ各国、32歳でアメリカと福沢諭吉は複数回海を渡りました。そして1868年、王政復古の大号令により明治政府が発足。政府から官職に就くことを求められた諭吉ですが、これを断り、蘭学塾を港区芝に移転させて「慶應義塾」と名付けました。
その後も中津市学校の設立や『学問のすゝめ』の執筆、西洋式簿記の教科書の刊行など、教育者として活発に活動します。1890年、55歳のときには慶應義塾に大学部を設置しました。その間も複数の著作を発表、亡くなる前年までさまざまな書物の執筆や刊行に携わります。
亡くなったのは1901年(明治34年)、脳溢血が原因でした。
福沢諭吉と北里柴三郎
福沢諭吉は現在の一万円札の肖像、北里柴三郎は2024年に新しくなる千円札の肖像に採用された人物です。このふたりは、ともに明治時代に活躍した偉人で、福沢諭吉が慶應義塾大学、北里柴三郎が北里研究所(のちに創立50周年記念事業として北里大学が設立される)を設立したという共通点があります。
さらに、北里柴三郎が北里研究所を設立した際、福沢諭吉は資金や土地の援助をしました。このように福沢諭吉は、研究や学びを助ける活動を多く行いました。
福沢諭吉の有名な言葉といえば「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らずといへり」。この後には「されども今廣く此人間世界を見渡すにかしこき人ありおろかなる人あり貧しきもあり冨めるもあり貴人もあり下人もありて其有様雲と坭との相違あるに似たるは何ぞや。」「されば賢人と愚人との別は学ぶと学ばざるとによりてできるものなり。」と続きます。
つまり「学ぶか、学ばないかによって、人の違いが生まれる」ということです。福沢諭吉は、それだけ学びが重要という考えを持っていた人物だと読み取れるでしょう。
お札になった背景、起用当時の時世
福沢諭吉が紙幣デザインとして採用された1984年は、バブル景気が起こる1986年を数年後に控えた時代です。国内での経済需要が停滞し、海外への輸出が経済成長を支えていました。
1984年以前の一万円札は、飛鳥時代に活躍した聖徳太子ですが、1984年のお札デザイン変更時に「最高券面額として、品格のある紙幣にふさわしい肖像であり、また、肖像の人物が一般的にも、国際的にも、知名度が高い明治以降の文化人」という理由から、福沢諭吉が採用されることになりました。
お札は日本国内に住んでいる人なら日常的に目にすることになるもの。また、海外から日本にやってきた人の目にも入ります。日本を代表するのにふさわしい人物として福沢諭吉が選ばれたといえるでしょう。
福沢諭吉のことがわかる記念館
福沢諭吉のことをもっと知りたいという方は、彼のことがさらに詳しくわかる「福澤諭吉旧居」や「福澤記念館」などを訪れてみてください。大分県中津市にあるこれらの施設では、福沢諭吉が住んでいた実際の家と豊富な資料を閲覧可能です。記念館には彼が採用された一万円札の1号券も展示されています。
それだけでなく、中津市は美しい自然が見られる耶馬溪 競秀峰や中津城といった見どころも多い風光明媚な地です。せっかくであれば中津の魅力をたどりながら福沢諭吉について学んでみましょう。
また、彼が設立した慶應義塾大学三田キャンパス内には福沢諭吉終焉の地があり、石碑が立てられています。東京近郊に住んでいる方は慶應義塾大学を訪れて、福沢諭吉に思いを馳せてみてはいかがでしょうか。
参考サイト
・財務省|紙幣の図柄について、図柄の意味と、その図柄を採用した理由を教えてください。 2019.7.1
https://www.mof.go.jp/faq/currency/07am.htm
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※本著者は楽天カード株式会社の委託を受け、本コンテンツを作成しております。
一万円といえば福沢諭吉!聖徳太子からはじまり、三人ともすごく有名よね!