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五千円紙幣でおなじみの「樋口一葉」ってどんな人?選ばれた理由は?
樋口一葉は、今でも多くの人に読まれ続けている女流作家です。五千円札の肖像画で顔を見たことがあるという人も多いのではないでしょうか。樋口一葉がどのようにして作家になったのか、たった24年の短すぎる人生についてご紹介します。
もくじ
・樋口一葉の生い立ち・人物像
・樋口一葉が生きた時代の情勢
・これまで五千円札に選ばれた人々
樋口一葉の生い立ち・人物像
樋口一葉は1872年、明治5年に東京で生まれました。本名は「一葉」ではなく「奈津」といいますが、「夏子」という名前を名乗ることが多かったといいます。父親はもともと山梨の農家の生まれで、江戸に出てからお金を貯め武士の地位を得た人物です。明治時代になると東京府の官吏(昔の役人)や不動産業、金融業などを行い、樋口一葉が幼い頃の実家はとても裕福でした。
彼女は11歳で、青梅学校小学高等科第4級を一番良い成績で卒業。しかし母親の「女にこれ以上の学問は不要」という考えから、それ以上進級することはありませんでした。対して樋口一葉自身は学問を望んでいたため、3年後の14歳のとき、父親が歌人中島歌子の塾「萩の舎(はぎのや)」へ入塾させます。
萩の舎は上流階級の人間の集まり。このため樋口一葉は気後れしながらも、和歌の世界や古典について学びを深めていきます。ところが翌年には兄が肺結核で亡くなり、翌々年には父が事業に失敗したうえに負債を残して死去。こうして樋口一葉は17歳にして家計を支えなければならなくなってしまったのです。
当時の彼女には許婚がいましたが、父親の事業の失敗により婚約破棄をされてしまいます。この裏切りに心を痛めながらも、一葉は針仕事や洗濯といった勤めをして、懸命に家計を支えようとしました。
19歳のとき「小説を書いてお金を稼ごう」と思い立った樋口一葉は、新聞社の専属作家だった半井桃水(なからいとうすい)を紹介してもらいます。小説の勉強を始め、20歳で処女作『闇桜』を執筆しました。樋口一葉は半井桃水に対し、小説の師匠としての思いだけでなく、女性としても思いを寄せていたようです。
ところがだんだんと、半井桃水と樋口一葉の関係がよくない噂となって流れ始めます。当時は、結婚を前提としない男女の付き合いなど認められる時代ではありませんでした。そこで一葉は恋心に泣く泣く蓋をして、半井桃水と絶縁することを決意します。
この別れが、その後の一葉の人生にも大きく影響を与えました。筆が進まなくなってしまった一葉は、21歳のときに作家業を断念し、吉原遊郭の近くに雑貨屋を開業。この雑貨屋の営業は結局うまくいかなかったのですが、その時代に見聞きした人々の姿を描き出したいという思いが、再び一葉に筆をとらせることになります。
こうして彼女は1894年、22歳のときから『大つごもり』『たけくらべ』『ゆく雲』『にごりえ』など、文壇をうならせる名作の数々をたてつづけに発表。精力的に執筆が行われたこの時代のことは、「奇蹟の十四ヶ月」とも呼ばれています。
しかし奇蹟の時代は長くは続かず、樋口一葉は1896年11月23日、肺結核により24歳で短い人生を終えることになりました。
樋口一葉が生きた時代の情勢
樋口一葉が生きていたのは、明治5年から明治29年までの間です。江戸時代が終わり、文明開化の時代になったとはいえ、未だ女性の地位向上や自由恋愛とはほど遠い時代でした。彼女自身も、母親の意見により学問の道を閉ざされたときには「死ぬばかり悲しかりしかど、学校は止めになりにけり」と日記につらい思いを記しています。
また半井桃水との交際においても、双方独身であったにもかかわらず、結婚を前提とする許婚同士ではなかったことから批判を受け、別れを選ぶことになってしまいました。それ以前の許婚は、父親の事業の失敗が原因で破談になっています。
このことから結婚が「本人同士」ではなく、「家と家の結びつき」であった時代ということがわかるでしょう。樋口一葉はこのような時代に翻弄されながら、叶わぬ恋や自分の思い通りにはならない人生を小説という形で表しました。
これまで五千円札に選ばれた人々
これまでに五千円札になったのは、「聖徳太子」「新渡戸稲造」「樋口一葉」の3人です。そして2024年には、新しく「津田梅子」の五千円札が発行されます。このうち、聖徳太子は飛鳥時代の人物ですが、新渡戸稲造、樋口一葉、津田梅子は3人とも明治時代を生きた人物です。
樋口一葉が生きた時代には、新渡戸稲造も津田梅子も生きていました。もしかすると彼らが、樋口一葉の文学作品を目にしたこともあったかもしれません。ただ新渡戸稲造や津田梅子が女性の学問や地位向上に尽力したのに対して、樋口一葉は時代の流れに翻弄され、学問と恋を諦め、苦しい思いを小説に昇華させたという違いがあります。
新しい時代を作っていった新渡戸稲造や津田梅子に反し、樋口一葉は古い時代の考え方の犠牲になってしまった女性であったともいえるでしょう。
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