3万円のロードバイクがすべての始まりだった。小6で自転車レースを始めてプロレーサーになった僕
ツール・ド・フランス。言わずと知れた自転車ロードレースの最高峰です。そんなツール・ド・フランスを目指してひた走るひとりのロードレーサーがいます。若くしてフランスでのレースを経験し、現在はさいたま那須サンブレイブに所属する篠原輝利選手です。
篠原選手は小学6年生のときに3万円でロードバイクを手に入れ、それがきっかけでロードレーサーの道を歩みだしました。ロードバイクと自転車競技の何が篠原選手をそこまで魅了したのか。3万円のロードバイクは篠原選手の人生をどう変えたのか。篠原選手に話を聞きました。
すべての始まりは「3万円のロードバイク」
──篠原選手がロードレーサーを目指すきっかけとなったのは、小学生の頃に購入されたロードバイクだったそうですね。どのようなロードバイクを購入されたのでしょうか。
篠原輝利さん(以下、篠原):僕が購入したロードバイクは、世界的に有名な自転車メーカーの、当時1番初心者向けのモデルでした。価格は中古で3万円でしたね。
篠原選手が実際に乗っていた中古のロードバイク
ホイールやコンポーネント(自転車の主要パーツのこと)などすべてあわせて3万円というのは、中古であることを考えても格安です。一般的には一式そろえると20〜50万円、高価なものになると100万円以上かかるのがロードバイクですから。
仮にここで20万円が必要だったら、僕は確実にロードバイクを始めることはできなかったと思います。とはいえ、小学生には3万円であっても大金です。それで思わず親に向かって口にした言葉が「プロになってツール・ド・フランスに出るから買ってほしい」だったんです。
──そこまでの決意を見せたことで買ってもらえたと。ということは、以前から自転車は得意だったのでしょうか。
篠原:いえ、そんなことは全然なくて。実は小学4年生まで自転車に乗ることすらできなかったんです。
友だちはみんな、自転車に乗っていたので一緒に遊ぶときは乗れた方がいいとは思っていたのですが…。姉が自転車の練習で転んで怪我しているのを見ていたので、痛いのは嫌だなぁと思って乗りませんでした。
乗れるようになったきっかけは、自分が行く予定の中学校が遠かったから。自転車がないと通学できないくらい遠かったんです。「これはもう自転車に乗らざるを得ないぞ」ということで、練習をして乗れるようになりました。
乗れるようになると、やはり楽しかったですね。自転車に乗っているときって、自分の身体が地面に接しないじゃないですか。それって空を飛んでいるようなものだと思うんです。すごく気持ちいいなと思って、自転車が好きになりましたね。
──そこからロードバイクに興味を持ったきっかけは、どんなものだったのでしょうか?
篠原:ロードバイクを知ったのは、当時姉が夢中になっていたアニメ『弱虫ペダル』がきっかけです。そのアニメを見て、こんな世界があるんだと興味を持ちました。
その後たまたま自宅の前をロードバイクが通ったのを見て「本物のロードバイクだ! ハンドルが曲がっていてかっこいい!」と興奮したことを覚えています。ロードバイクはドロップハンドルといって、下向きにハンドルが曲がっているんです。
──最初のロードバイクを購入したとき、ほかには候補はなかったのでしょうか。価格以外に選んだ理由はありましたか。
篠原:そのロードバイクしか選択肢はなかったですね。小学生だった僕はまず身長が低くて、それでも乗れるロードバイクがほかになかったんです。
近所の自転車屋さんに行ったとき、店長さんが2階からかついで持ってきてくれたのがそのロードバイクでした。当時の小さな体でもなんとか乗れて、中古で3万円。「これだ!」と即決しました。
実際に乗ってみたら「うわー! なんだこれすごい!」と大興奮でした。これで友だちのところに行ったらびっくりするだろうなー、と。実際に友だちに見せてみると「ふーん、すごいね」と薄い反応でしたけど(笑)。
類まれな才能を発揮し快進撃、そしてフランスへ
──ロードバイクに乗るようになってから、自転車競技を始めた経緯を教えてください。
篠原:買ってもらうときに「プロになる」と言ったわけですから、じゃあまずは大会に出なきゃな、と。特に父は、僕が何かを始めると大会に出させたがるんです。ですから自転車の大会に出るというのは自然な流れでした。
最初に出たのは、近場でやっていたサイクルスポーツセンターの大会ですね。1周800mくらいのコースを10周ほど周回する「クリテリウム」というレースに出て、めちゃくちゃ緊張したんですが優勝できました。それですっかり気を良くして、次のレースにも出場して、また優勝して。
ここまでは良かったのですが、それで天狗になってしまったんです。練習もしなくなって、そのまま3回目のレースに出場したら小学4年生の子に負けてしまったんですよ。それがもうめちゃくちゃ悔しくて。そこからは真剣に練習に取り組むようになりました。
──ちなみに、最初に買ったロードバイクにはいつ頃まで乗っていたのでしょう。
篠原:1年半くらいですね。10回くらいはそのロードバイクでレースに出たと思います。そのうちに成長期で身体が大きくなってきたので、次のロードバイクに替えました。
次のロードバイクは、最初にロードバイクを買った自転車屋さんで買っています。そのお店には本当に良くしてもらっていて感謝しています。そこがなければ自転車競技を始めることはもちろん、続けることもできなかったと思います。
──そこからプロになるまでの道のりはどうだったのでしょう。
篠原:一番の転機になったのは、当時出場したレースに出ていた「ボンシャンス」というチームの選手の方に誘っていただき、中学3年生の春休みを利用してフランスに滞在したことです。
フランス滞在中の篠原選手
フランスは自転車競技の本場です。フランスでもレースに出場して、そこでも優勝という結果を残せました。そのおかげでメディアにも取り上げられ、いろいろな高校から、推薦入学の誘いをもらったんです。
ですが、僕は高校で自転車競技部に入ってインターハイを目指したいわけではなく、目標はあくまでもツール・ド・フランスに置いていました。そこに最短距離で向かうにはどうすればいいかを考えて、通信制の高校で勉強しながらフランスでがんばることにしたんです。
挫折を経験しながらも自転車だけはやめなかった
──夢を追うために、決して簡単ではない道を選ばれたわけですね。
篠原:そうですね。もともと僕は人と違うことをやりたい気持ちが強いんですよ。皆が普通に高校や大学に行くなら、僕はフランスに行こう、と。子供っぽい発想かもしれません(笑)。
でも僕の目標はあくまでもツール・ド・フランスですから。高校や大学の自転車競技部からツール・ド・フランスに出場した選手は日本人ではまだ誰もいないんです。
実際にフランスで走ったのでわかるのですが、日本とはまったくレベルが違います。高校の部活のペースでやっていたら、僕のツール・ド・フランスへの挑戦は夢で終わるだろうと思いました。
──フランスでの活動はいかがでしたか。
篠原:フランスでもU17のレースでは10回以上は優勝するなど、成績を残せました。ただ、慣れないフランスでの生活は大変でした。
当時は、ビザの関係で3カ月ごとに日本とフランスを行き来する生活を送っていたんです。この頃は、新型コロナウイルス感染症の流行があったり、ほかにも生活でいろいろとうまくいかないことが多かったりして、メンタルがどん底に落ち込みました。
自転車を見たくないというところまでいったんです。ホームステイ先の庭で3時間くらいぼーっと空を眺めていたり…。
もう自転車をやめようと思って、父に電話をかけたんです。そこで「本当にやめるんだな?」と父に言われた瞬間に、今まで応援してくれたたくさんの人たちの顔が浮かんだんです。
アニメや漫画みたいですよね。でも実際にそうだったんです。そこで踏みとどまりました。この頃は本当に辛かったのですが、その経験があったからこそ今の僕はメンタルで誰にも負ける気がしません。
あのときの3万円は“人生で最高の投資”
──フランスでの経験を積んだ後に、帰国されたわけですね。日本ではどんな活動をされたのでしょうか。
篠原:いったん日本で活動する道を選び「Aventura Cycling」という実業団チームに所属しました。そして2023年からは「さいたま那須サンブレイブ」というプロチームに所属しています。これでプロのレーサーとしてデビューしたことになります。
さいたま那須サンブレイブに所属した篠原選手(向かって左から4番目)
ロードレースの世界にはチームに格付けがあります。下から、アマチュア、コンチネンタルチーム、プロチーム、ワールドチームという順番です。
さいたま那須サンブレイブはコンチネンタルチームで、国際レースに参戦できる資格を持っています。まずはこのさいたま那須サンブレイブの一員としてしっかりと結果を出していきたいと思っています。ただ、これは監督やチームメンバーにも言っていることですが、僕はさいたま那須サンブレイブも「踏み台」にして、さらに上を目指すつもりです。
──それは、やはり篠原選手の目標がツール・ド・フランスだからですよね?
篠原:はい。もちろん簡単でないことはわかっています。ツール・ド・フランスに出場した日本人は片手で数えられるくらいしかいません。
そんな状況のなかで僕はツール・ド・フランス優勝を目指しているわけですから、周りから見れば「何言ってるんだ」という感じかもしれません。でも、それくらいがちょうどいいと思っています。だって、それで優勝できたら最高でしょう?
──篠原選手にとって、自転車競技の魅力とは何でしょうか。
篠原:僕にとっての自転車競技の魅力は大きなポテンシャルです。
まず、自転車競技を通していろいろな人に出会えたり、いろいろな経験ができたりしたことがあります。そして、自分自身の根底にある人と競い合うことが好きという本質を掘り起こしてくれたのも自転車競技です。
さらに、自転車に乗るのも好きだし、自転車で競い合うのも好きだし、そういう環境に身を置くことが大好きなんです。そんな自分を知れたのも、自転車競技のおかげです。
──最後にあらためて、最初に買った3万円のロードバイクで自分自身の人生がどう変わったと感じるか教えてください。
篠原:何よりも人として成長できたと感じています。自転車競技を始めなかったら、たぶん僕はろくなことにはなっていないと思いますから(笑)。中古のロードバイクから始めて、いろいろな人に出会って、今があります。僕にとってあのときの3万円は、まちがいなく人生で最高の投資でした。
※記事の内容を一部修正しました。
取材・執筆:山田井ユウキ
編集:はてな編集部
※本著者は楽天カード株式会社の委託を受け、本コンテンツを作成しております。
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