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日常から脱出するために、友人と哀愁の旅館「鳳明館」に泊まってきた
ブロガーのきくちさんが、日常から脱出するために都内の旅館に泊まる過ごし方を紹介します。今回の宿泊先は文京区の本郷にある「鳳明館 森川別館」。遠くへ行かずとも、気心知れた友人といつもと違う場所で過ごすだけで、ずいぶんとリラックスできると言います。
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僕は、気心知れた友人と特別な用事があるわけでもなくホテルや旅館に泊まるのが好きだ。いつものように家に帰らず、この日常が続いていくのを、どこかでえい、と断ち切りたくなるのだ。
東京の家賃は高い。とにかく高い。東京在住の20代には家賃を抑えるべく、6畳ほどのワンルームマンションに住んでいるという人がそこそこ多いのではないだろうか。僕も多分にもれず窮屈なワンルームに住んでいる。
ベッドを置こうものなら部屋の半分がベッドで埋まってしまうのである。部屋の半分がベッド、腰掛けるのもベッド、ご飯食べるのもベッド、テレビを見るのもベッド。永遠万年ベッド生活である。
毎日6畳ワンルームと会社の往復を繰り返していると、気がつかぬうちに、肉体と精神が消耗していることがある。皿洗わなきゃと思って立ち上がったら、なぜか気づけばトイレにいたというような夜がある。ふと、ああ、この日常をどうにかしなくては、とにかく魂の解放が必要だ、早急な日常からの脱出が必要だ。そういう気分にもなるのである。
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ある金曜日、この日もそんな思いが募り、会社を出て、いつもと違う方向の電車に乗った。例のごとく友人にも声を掛け、現地で会うことにした。
何駅かぼーっとしていると、本郷三丁目駅に着いた。いくつかのちょっとした坂を越えると街の雰囲気が変わり、どこかに迷い込んでしまったような気がした。
文京区の本郷にぽつねんと存在する「鳳明館 森川別館」という旅館に向かっていた。1956年に建てられた木造の旅館で、レトロな建築様式が独特の存在感を放っている。大学生のころにサークルの人たちと何回か泊まったことがあり、哀愁が漂う佇まいを気に入っていた。
友人はすこし遅れてくるとのことだったので先に入ることにした。庭木の間をくぐると、玄関が見えた。
なつかしい匂いがした。 広々とした玄関だった。
朝食付き1泊で一人6,500円。支払いを済ませてチェックインすると、着物姿の女将さんがあいさつに来てくれた。
「昭和のままの建物ですけどね、くつろいでいってくださいね」
女将さんはシャキッとした人でてきぱきと館内を案内してくれた。年季の入った床はてかてかと輝き、鳳明館が過ごしてきた日々の長さを感じさせた。歩くと床はキュッキュッと鳴った。局地的に時空がゆがみ、昔の日本が出現しているような気がした。
部屋は二階の角ということだった。二階もやはりいい情緒がある。東北の苔むした温泉街の片隅にある、静かにひなびた歴史的旅館なのですよと言われたら信じてしまいそうな空気が漂っている。現実の磁場から抜け出すには、これくらいの非日常感があるとよい。
「朝日の間」という部屋に案内された。広々としているなあ。普段のワンルームマンションとの差に気分が上がる。クーラーを強くする。荷物をおろして畳に寝転がる。保養をしに来たわけなのだから、今日はとにかく盛大にだらだらしよう、そう思った。
ワンルームマンションというのは大体はフローリングである。ひさびさに畳に触れると気持ちのよいものだなあと思う。夏にはこうした涼しさが必要だ。
バッグから本を取り出す。最近『ヒト夜の永い夢』というSF小説を読んでいる。南方熊楠(みなかた くまぐす)という実在の博物学者が主人公で、昭和初期に粘菌コンピューターを使って、“天皇機関”という自動で動く人形を作り出すというはちゃめちゃなストーリーだ。SFははちゃめちゃであればあるほどおもしろい。
鳳明館でそんな破天荒SFのページをめくっていると、なんだか無性に、本当に、ここは昭和の初期の世界なのであり、窓から外を見下ろせば、おぼろげな街明かりの中を袴姿の亡霊が、我が世の春よと闊歩しているんじゃないかという気がしてくる。
畳に転がり、片肘ついて、時々お茶を飲みながら、のんべんだらりと文字を追う。本を読むのだって、満員の通勤電車で読むのと、こうして広々とした部屋で読むのとでは大違いである。環境が違えば、読書もさらなる保養行為となるのである。
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しばらくするとサンダル姿の友人がやってきた。仕事終わりに一回家に荷物を置きに帰っていたようだった。二人とも何も食べていなかったので、コンビニに夕飯を買いに行くことにした。
「最近のコンビニの冷凍食品ってうまいやつ多いよね」
僕はそんなことを言いながら、チーズタッカルビがあるのを見つけて手に取った。
「ほんとにね、コンビニの冷凍食品の進化はすごいよね」
友人はカップラーメンを買っていた。インド人と思われる店員さんは手際良く会計をしてくれた。
おにぎり、焼き鳥、チーズタッカルビ、カップラーメン、そして酒……一人1,000円ちょっとで、この幸福度の高さである。
居酒屋に行けば5,000円。二次会まで行ったらプラスもう3,000円くらいかかることもザラである。終電を逃してタクシーに乗ろうものならプラスもう2,000円。歩いて帰るなら、翌日の活動意欲が根こそぎ失われることは間違いなしだ。
しかし、旅館に6,500円払って、コンビニでご飯と酒に1,000円払ってみよう。好きなものを食べながらゆっくり過ごせる。何といっても終電の心配はない、大きな風呂にも入れるし広々とした部屋で寝られる。なんなら翌日に朝食だってついてくる。それはとても素晴らしいことのような気がしてくる。僕はそうしたちょっとした贅沢が好きなのだ。
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「最近どう?」
僕はチーズタッカルビをつつきながら言った。鶏肉はとても柔らかかった。
「弟が結婚するんだってさ」
遠い目をどこかへ向けながら、友人はカップラーメンをすすった。
「人間のライフステージというやつは動かない時は強固な岩石のように動かないけど、動き出すと坂を転がる小石のように進んでいくよね」
僕は20代後半の人間がいかにも言いそうなことを感慨深げに述べてテレビをつけた。
「そうなんだよ。子供ができたりとかね、そういうことにもなってくるのかもしれないね……」
やはり友人は遠い目でどこかを見ていた。
梅酒を開けた。 大きな梅が入っていた。
「あ、サマーウォーズやってるじゃん。最近、夏になると必ずやってるよね」
僕はうまく解凍できておらず芯がすこし冷えている焼き鳥を食べながら「たしかにね、最近よくやってる気がするね」と答えた。そして、しょっぱいものを食べた後はおにぎりかなと、おにぎりの包装のビニールを剥いた。
「結局おにぎりはツナマヨが一番美味しい的なところない?」
「たしかに。ツナマヨは安定してうまいよね。カップラーメンはシーフードが結局一番うまいよね」
「いやいやそこはオーソドックスなやつじゃない?」
テレビには一族郎党が結集し、カズマが世界の危機を回避するために必死の形相で戦っていた。
「なんか、サマーウォーズ見てるとさ、長野にいるような気がしない?」
友人は畳にごろっと転がり、完全にくつろぎモードでそんなことを言った。
「たしかに! 長野と思えば長野にいる気がしてきたな~」
ここは東京でつい数時間前まで会社で働いていたのかと思うと、少しおかしな感じがした。全く別の時間が流れていて、日中の自分と連続性が無いような気がした。日本酒を開けた。頭がじーんとしてきているのを感じた。クーラーが静かな音を立てていた。
「なんだ、なんだ」
再びテレビを見ると、夏希と健太が向かい合って、ふたり仲良く顔を赤らめていた。
「お~」
これは、恋の気配だ! と僕たちは厳かな気持ちで二人に拍手を送った。
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風呂に行くことにした。
鳳明館はところどころに木で動植物があしらわれている。イカが泳ぎ、カニがうごめいている。イカ、かわいい。
入り口には カッパがいた。鳳明館は内装が凝っていて楽しい。
話がそれたけれど、風呂である。
浴場に入る。タイル張りのローマふうの風呂だ。思ったより熱いお湯で、体がじわじわと温まっていく。
湯の中で、やはり人間の体は6畳ワンルームではストレスが解消されない物理的構造なのではないだろうかと考えた。我が家の浴槽は修行僧のように姿勢を正さなくては入れない。今日はそんな堅苦しさからも解放されている。やはり風呂というのは広々としているからこそ体を休めることができるのではないかと思う。
湯気に包まれながら、大学生の頃、同じようにこの風呂に浸かっていたことを思い出す。髪を洗いながらサークルの友人は、「僕はロシア文化の研究をしてるでしょ。だから唯物論的無神論者でね、英語、ロシア語、フランス語で『私は無神論者です』って言えるようにしているんだよ。誰に対しても自分の信条を説明できないとね」とかなんとか言っていたなあ。
当時の僕は、高校と大学というのは全然違うのだな、信条なんて今まで考えたこともなかったな……と思ったことを覚えている。
昔は宿泊代を払うにも苦労したものだ。学生のバイトでは収入は月数万円だ。働きだしてからは、こうしてたまに旅館に泊まれるくらいの余裕ができた。歳をとるのも悪くないものだなと思う。
きっと鳳明館はこれからもずっと続いていくんだろうな、僕の人生よりも長く続いていったらうれしい。こうして人生の中で折々に訪れる宿があるというのもいいものだなと思った。
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風呂から上がって廊下を歩いていると、本郷往来絵図なるものを見つけた。本郷の周辺は文化人や文豪にゆかりのある地がたくさんあるらしい。
「樋口一葉とか宮沢賢治の旧居もあるらしいよ」
と僕は言った。そういえば、さっき読んでいた『ヒト夜の永い夢』にもなかなか重要な役で宮沢賢治が出てきていたなと思った。現実の方がフィクションに寄ってきたような気がして、僕はすこし興奮した。
「へー。鳳明館だけじゃなくてこの辺一帯が、歴史ある場所なんだね」
そう言って、友人は絵図をしげしげと眺めていた。
再び部屋に戻ることにした。
布団を敷いて横になり、特に何を喋るでもなくスマホをいじる。スマホに飽きたら本を読む。またすこし日本酒を飲む。煎餅をかじる。とにかくダラダラするのが目的なのだ。
「最近さ、バイク買おうと思ってるんだよね」と友人は言った。
「へえ、いいじゃん。新車?」
「いや中古だよ。40万くらいで考えてる」
「中古でも結構高いんだね。そうしたらそのうち沖縄でも行こうよ」
「バイクの免許持ってなくない?」
「原付で追いかけるからさ。そのへんは大丈夫」
ふたりで調子よくははっと笑った。深い時間に終電を気にすることもなく、気心知れた人ととりとめもなくしゃべっているのが一番の息抜きであるなと思う。
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ちょっと散歩してから寝るかと、一人で外に出てみた。
鳳明館の看板が静かに光っていた。
すこし風が吹いていて、散歩には悪くない気がした。旅館の周りを歩く。日常をすこし遮断したくて、鳳明館にやってきた。試みは成功だったなと思った。ふだん頭に渦巻いている現実の問題から遠く離れることができたのだ。
本郷の街はすっかり静まりかえっている。なんということもない道が続いている。宮沢賢治もこの辺を歩いていたんだろうかなどと思う。過ぎていった途方もなく長い時間を思うと、日常が続いていくことの大切さも同時に感じたりする。ヒト夜の永い夢か……。そろそろ眠たくなってきたなと思い、部屋に戻った。
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朝、目が覚めると朝食の時間5分前だったのであわてて体を起こす。酒を飲んでいたわりには、体はスッキリしていた。
日本の朝ごはんを絵に描いたような朝食がやってきた。
ご飯が柔らかくて美味しい。やたらと正しい味がする味噌汁を飲む。体がほどけていくような気がした。すこしずつ日常に帰っていく準備をする。
驚くべきことに、開放的なこの朝は、土曜日の朝なのだ! 泥濘(でいねい)のごとくだらだら時間を過ごし、保養の限りをつくした後、まさにこの瞬間からまるまる二日間の休みがやっと始まろうとしているのだ。この感動は味わうと大変癖になるタイプのものだ。実質休みが1日増えたような感覚なのである。正しくプレミアムフライデーを過ごしてしまったなと、すこし笑ってしまった。
やはりふらっと都内の旅館に泊まってみるというのは大変に尊い行為だ。どこか遠くへ行くということではなく、日常を少しずらすだけでも、ずいぶんリラックスできるものだ。
大人になると、特に男性は、遊ぶといえばとりあえず飲み会である。飲み会は楽しい。しかし、毎回毎回同じような居酒屋に行くのではなく、たまに旅館に泊まってみると、そんなに変わらない値段で、抜群の保養効果を得られる。女性が岩盤浴に行くように、男性は、友人たちと連れ立って、旅館の浴場で体を温め、畳の上でだらだら飲酒!というのはなかなかよいのではないかなと思った。もちろん女性にもおすすめである。
そんなことを頭の片隅で少し考えたりしながら僕はもう一度布団に転がるのだった。
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