暗号通貨
「贅沢」のスケールが人間の器を決めるのではないか? 牛丼屋に通う男が「屋形船ごはん」を体験してみた
「贅沢」のスケールが「人間」としてのスケールに紐づいているのではないか。牛丼屋での味噌汁から豚汁への変更に贅沢を感じていたブログ『真顔日記』の上田啓太さんが、大人の階段を登るために、思い切って「屋形船ごはん」を体験してみました。
|
|
男の暮らしは牛丼屋とともにある。
先日、私は牛丼屋で食事をしていた。ふと思い付いて、味噌汁を豚汁に変更した。百円と少し追加すると変更できる。私は味噌汁も好きだが豚汁は大好きである。たまに贅沢気分でこの変更をする。
しかしその時に思った。いくらなんでも、贅沢のスケールが小さすぎるんじゃないか。たしかに味噌汁を豚汁に変えることはうれしい。だが、自分にとっての贅沢の代表がこれになっているのはどうなのか。豚汁変更を贅沢の代表として送り出すことができるのか。私はガハハと笑う豪傑な男にあこがれているのだが、これはとても豪傑とは言えない。
そういえば、コンビニで三百円前後のスイーツを買う行為も私の中では「贅沢」にカテゴライズされている。完全に贅沢のスケールが縮んでいる。贅沢と百円玉が強烈に結び付いている。
札束とは言わない。札束を積んで味噌汁をフェラーリに変更しろとは言わない。そんなオプションはどこの牛丼屋にもないんだから。しかしせめて、贅沢と紙幣が結び付いていてほしい。一度、感覚を変えておいた方がいい。もっとスケールの大きい贅沢がしたい。小銭ではない贅沢をして人間としてのスケールを大きくしたい。
その日、私は「屋形船」の予約をした。
**
一週間後の浅草。私は吾妻橋の乗船場に立っていた。
周囲には他の乗船予定の客もちらほらと見えた。ここから屋形船に乗り込むわけである。船に乗りながら、飯を食い、酒を飲む。これはあきらかに贅沢だ。私はまだ人生で一度も屋形船というものに乗ったことがない。
ちょうど日が落ちはじめた頃合いだった。船が到着した。
私が予約したのは船宿『あみ達』の「乗合屋形船」というものだ。1人1万円(税抜)で二人から乗ることができ、事前にWebからクレジットカード決済して申し込んだ。私は驚いた。屋形船にクレジットカード? なんだかミスマッチなようにも思えて笑ってしまったが、私の知らないところで世間は随分と便利になっていたようだ。
今回は友人とともに乗り込んだ。前方には各種の酒も見える。飲み放題のようである。興奮してくる。
席に着いた。乗客は全部で三十名ほどだろうか。二人組もいるが、十名ほどの団体客もいた。年齢もさまざまだ。外国から観光に来ている人の姿も見えた。
そりゃあ乗りたくなるだろうよ、と思った。そりゃあ日本に来たら乗りたくなる、わかりますよ、わかりますよ。興奮で微妙に自分の口調が変わっている。まだ酒も入っていないのに。
船が出発した。店員のお姉さんが乾杯の音頭を取った。私はとりあえずビールを頼んでいた。
食事をはじめる。ビールを飲む。すでに日は完全に落ちていた。窓の外には隅田川とその向こうの都市の光が見える。そして目の前には刺身がある。
こういうことなんですよ、と思った。僕はこういうことがしたかったわけですよ! なぜ敬語なのか、だれに語りかけているのかは、わからない。
*
船は進んでいる。私は酒を飲んでいる。「窓を開けてみても大丈夫ですよ」と店員に言われた。
言われるとおりに開けてみる。船は時速15km ほどで進んでいるという。窓から水面のしぶきを見ていると、体感としてはかなりのスピードであるように感じる。
これが面白かった。高速で移動しながら食事するという経験はなかなかないだろう。
いま俺は人生でもっとも高速で移動しながら食事をしている、と興奮したが、考えてみれば、新幹線に乗ったときは、時速300km で移動しながら駅弁を食っていた。新幹線が密閉空間であるゆえに気付かなかった。自分が過去に時速300km で移動しながらモノを食べていたことがあると思うとウケにウケた。酒のせいで笑いのハードルが下がっている。
その時、揚げたての天ぷらが席に届いたので私の意識は即座に天ぷらに向いた。どうやら船内で揚げているらしい。さっそく食べる。
うまい。そりゃあ、うまいに決まっている。その後も次々と揚げたての天ぷらが届いて、なんだか面白かった。
昔、友だちが言っていたのを思い出した。「屋形船では、どんどん天ぷらが出てくる」と。あのとき、私は屋形船に乗ったことがなく、へえ、としか答えなかった。友だちは食いつきの悪さに不満そうだった。長い時を経て理解した。たしかに屋形船ではどんどん天ぷらが出てくる。いまさら心の中で相槌を打った。たしかに!
私はすでにビールから日本酒に移行していた。刺身に天ぷらに日本酒だ。小鉢もいろいろあったが、ホタルイカに酢味噌をかけたものが気に入った。
私はこれに弱い。たまに奇跡のような出会いだと感じる料理があるものだが、ホタルイカと酢味噌の出会いは完全に奇跡だと思う。ほんとうにお似合いだ。食べるたびに、もう結婚しちゃいなよ、と言いたくなる。酢味噌に。ホタルイカと暮らしなよ。
*
食事も一段落したころ、船はお台場に到着した。浅草から隅田川を下ってきたわけである。ここでしばらく停泊するという。デッキに上がって景色を楽しんでもいいらしい。
しかし、私はすでにものすごく酔っていた。飲み放題に浮かれた結果である。それに満腹だ。多幸感に包まれている。
どんどん姿勢も崩れてきている。このまま液体になって隅田川に溶けてしまっても後悔しない。そんなことを思ってしまう。アルコールの影響で思考がバグっている。だが、これはデッキに上がっておかなければならないだろう。
短い階段を登って、デッキに上がった。夜風が頬に当たる。意識が覚醒する。そうだった。酒に酔った状態で夜風を浴びると、ものすごく気持ちがいいのだ。
しばらくレインボーブリッジを見ていた。他の屋形船が近くを通り過ぎてゆくのも見えた。酒のほてりが夜風で冷めていく。夜風のことがどんどん好きになる。吹いてくれてありがとう。
停泊を終え、船は浅草へと進みはじめた。帰りは酔い心地でぼんやりとしていた。記憶も曖昧になってくる。炊き込みごはんとお吸い物が出た。そしてデザートも出た。
さすがに途中で酒はやめて烏龍茶に移行した。すべてが絶妙にいい塩梅で共存している。酒と飯で思考能力が低下して、ゆるい幸福感だけが残っていた。
もうすぐこうして日常に戻るのだろう、と思っていたが、下船前に、東京スカイツリー®の近くで二度目の短い停泊があった。私は今回もデッキに上がった。そしてスカイツリーを見た。考えてみれば、スカイツリーをちゃんと見るのは初めてである。
夜のスカイツリーには独特な空気が漂っていて面白かった。塔の背後に広がる夜空のせいだろうか。暗雲がたちこめている。ドラクエかファイナルファンタジーか、そういうゲームに出てきそうである。最上階にボスがいるタイプの塔だ。こんな満腹泥酔状態で、勝てるだろうか。
今回の停泊は短かった。船は吾妻橋に到着した。私は他の客たちとともに屋形船を降りた。
なんだか人間としてのスケールが大きくなった気がして充足感に包まれる。こういうことがしたかったんだよ、と思った。たまにはこういう贅沢もいいもんだ。
またそのうち来よう。花火大会にあわせて乗ってみるのもよさそうだ。あるいは昼に乗るのも面白そうだ。それまではとりあえず牛丼屋とともにある普段の日常に戻ろう。けれど、味噌汁もどんどん豚汁に変更しよう。そんなことを考えて帰路についた。帰り道の夜風まで気持ち良かった。こんなに夜風の評価が上がるとは思わなかった。
その日の夜、牛丼屋が船になって隅田川を下っていく夢をみた。安易なコラボをするな、俺の無意識よ。
|
|
※本著者は楽天カード株式会社の委託を受け、本コンテンツを作成しております。